昨日は次男キックベースの試合でした
計3試合し1勝2敗でしたが、みんなよく頑張ったね
そして来週はゆみへいがソフトバレーボール
の区大会です
スポーツの秋は老体にこたえる。。。
何とか気力で頑張ろうと思っているゆみへいです
☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆
COCOにフィールドトライアルを。。。と考えだしてから
大会に参加するための弊害を取り除くため
COCOのルーツを探す事を決意した我が家
そのために必要不可欠だったのが
元の飼い主さんに連絡を取ること
実はこれが一番気の重いことだったのです
何故ならば
2011年5月(震災から約2か月後のこと)
何とか飼い主さんを探しだし
電話で話をしたゆみへい
その時の飼い主さんの言葉から感じ取った気持ちが
何とも辛かったのです
COCOは福島県の大熊町で暮らしていました
しかも
福島第一原発3キロ圏内のところです
2011年3月11日 大きな揺れが襲い そして津波
その数時間後には原発事故による避難命令で
人間がいなくなってしまった街
この街で残された動物達がどんな状況だったか
ニュースや情報番組で見た方も多いと思います
保護に入った動物愛護団体の方たちからの情報は
胸を締め付けられる内容のものでした
首輪抜けをすることも鎖を食いちぎることもできず
繋がれたまま餓死していた犬も少なくなかったと聞いています
そのような状況下でCOCOの飼い主さんは
避難から数日後に被ばくを恐れず
COCOや一緒にいたほかの犬を
自由にしてあげるため自宅に戻ったそうです
避難先に連れて行くことはできないから
せめて生き延びてほしいとの思いで・・・
犬たちを自由にし車で自宅を後にするとき
随分長い距離を犬たちが車の後を追って
走ってついて来たと話してくれました
そんな犬たちをどんな思いで見ていたのか・・・
考えただけで目頭が熱くなります
そしてCOCOは街の住民が居なくなり無人化した大熊町で
約1か月も放浪をしながらなんとか生き延び2011年4月14日にみなしご救援隊に保護されたのです
その翌日我が家がホストファミリーとして預かり
その後何とか飼い主さんが見つかったのです
昨年の電話で避難生活がいつまで続くかわからないから
COCOの里親になってほしいと言われました
その時に
「いつでも連れて行きますから」
と伝えたら
「自分のためにも犬のためにも会わない方がいい」
と言われたのです
その時はまだ震災から約2か月・・・
まだ精神的にも大変な時だったと思います
そんな時だから一緒に暮らせないのなら
思い出すだけでも辛いと考えたのだと思います
そのような経緯なので
また連絡するのは
とても気が引けて・・・
でも勇気を振り絞り
大熊町役場を通じ元の飼い主さんから連絡を頂く手続きをし
そしてご連絡を頂きました
もちろんまだ避難生活をされているとのことでした
でも電話で快くCOCOの事を教えて下さいました
COCOは秋田生まれ
大熊町の家のすぐ裏は小さな山で自然いっぱいの中で育った自然犬
猟犬仲間(ブリタニースパニエル)と一緒に暮らしていた実猟犬
電話の最後にもう一度
「会いたくありませんか?」
と元飼い主さんに聞いてみたところ
「そりゃ〜会いたいよ・・・」
・・・良かった!!
そう思ってくれていたことを感謝し
「では会いに連れて行きます!」
と約束をして電話を切った我が家
この無防備な寝顔も。。。
このかわいらしい肉球も。。。
愛おしくてたまらないCOCO
元飼い主さんに会ったら
COCOが私たちを拒否しないか不安もありますが
私たちとの絆も深くなっていると信じているから大丈夫
そう自分に言い聞かせて連れて行くことを決意しました
今月の中旬にCOCOと福島まで行ってきます!!
元飼い主さんとCOCOを引き合わせたら
「元保護犬」
の名を返上しようと思う我が家なのでした。。。
「もうすぐ故郷の福島県に行くんですよ。。。」
我が家の愛娘COCOにプチッと投票お願いします!!